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礼拝
森 崇

常盤台バプテスト教会 2024.5.5 主日礼拝 あなたが存在する理由⑥「主があなたを必要とされるから」森 崇牧師【ヨハネによる福音書 4章16~26節】(新共同訳 新約P.169~170)


礼拝出席カード



音声メッセージ

礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
礼拝プログラム
【第一礼拝】
前奏                  
招詞    申命記 6章4~5節    司式者
祈祷                        司式者
賛美    新生26番「ほめたたえよ造り主を」 
献金感謝  
主の晩餐式  賛美「ひとつの聖霊」           
聖書    ヨハネによる福音書 4章16~26節
宣教    あなたが存在する理由⑥「主があなたを必要とされるから」 森 崇牧師
祈祷
賛美    新生570番「たとえばわたしが」
頌栄    新生668番「みさかえあれ(A)」
祝祷
後奏

【第二礼拝】
前奏                  
招詞    申命記 6章4~5節    司式者
祈祷                        司式者
賛美    新生26番「ほめたたえよ造り主を」 
献金感謝
信仰告白
バプテスマ式             
聖書    ヨハネによる福音書 4章16~26節
宣教    あなたが存在する理由⑥「主があなたを必要とされるから」 森 崇牧師
祈祷
賛美    新生570番「たとえばわたしが」
主の晩餐式  賛美「ひとつの聖霊」 
頌栄    新生668番「みさかえあれ(A)」
祝祷
後奏
宣教概要
 人は誰でも承認欲求を持っています。認められたい、褒められたい、必要とされたい。そのような私たちの存在ですが、人から認められること以上に大切な価値があります。それは神ご自身があなたを求めておられるということです。かつてサマリアの女は愛されたいという強い承認欲求があり、五人の夫を持っていましたが、今生活している男とは婚姻関係を結んでいませんでした。つまりこの女性は常に満たされない生活の不満や不安、誰からも愛されていないのではないかという心の飢え渇きを持って生きてきました。彼女の生き方は、私たちの姿をそのまま表します。しかし彼女は主イエスと出会ったとき、人生を潤すまことの生きた水に出会うことになりました。そしてこの水を飲むものは決して渇かず、主イエスが与える水はその人のうちで泉となり、永遠の命へと導く水がわきでるものとされました。私たちも同じです。渇くことによる消費と浪費していく人生ではなく、むしろ人生の満たしと潤いの中で、豊かに与える人生、注ぐ人生、分かち合う人生へと招かれます。主イエスがこの女と出会われたのは偶然ではありません。むしろ必然です。神がこの女性を必要とされたのです。
 主イエスは私たちをまことの礼拝者として招き、私たちの存在を必要とされます。礼拝とは、プログラムや場所ではありません。礼拝とは神さまが約束された救いが必ず起こること(4:22)、これを待ち望むこと、そしてこれが与えられたことを感謝することです。かつていまし、今いまし、やがて来たり給う方を仰ぎ見る、これが礼拝です。礼拝とは特に礼拝者のこころそのものが大切であり、礼拝者の存在そのものが父なる神に求められていることです(23)。「神は霊である。だから神を礼拝する者は霊と真理とをもって礼拝しなければならない」(24)とは父なる神の要求によるものです。
「神は霊である」との「霊」はプネウマ(英Sprit)です。私たち人間は「肉」なる存在ですが、神は「霊」です。霊とは目に見えない存在ですが、神の世界と神の行動の名です(創1:2)。かつて創造主は人間に神の息(霊)を吹き込んで生きる者としてくださいました(2:7)。霊の働きは自らを人間に開き、また人間に悟らせます。御子イエスが人間の姿を取られたことを「受肉」と言います。これは目に見えない神の霊が私たちの目にも見ることのできる肉の形をとったということです(ヨハネ1:14)。御子イエスは神の聖なる霊、聖霊を派遣し、御子イエスに属するものはすべて神の霊にあずかるものとされました。私たちはこの霊によって天地の造り主、唯一の神を「アッパ、父よ」と呼び求めることができるようにされています(ローマ8:14-15)。
 「霊と真理による礼拝」の真理とはアレーティア(真実)です。神みずからが「真実」である(ヨハネ3:33)と共に、イエスさまは真理を証しするためにこの世に生まれ(18:37)、また「わたしは道であり真理であり、いのちである」(14:6)と言われるように、真理そのものでした。特に真理の重要な働きは人間を自由にします。「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」(8:32)この真理は私たちを束縛から解放させ、罪から救い、罪の奴隷としてではなく自由な神の子としての歩みを私たちに得させます。即ち「霊と真理によるまことの礼拝」とは主イエスの存在によって生かされてある私たちの存在そのもの=霊と、十字架において神の赦しを完成させ、復活して共に生きておられる救い主イエス=真理をもった礼拝を主は望んでおられます。
サマリアの女を霊と真理によるまことの礼拝へと主イエスは招かれましたが、その後この女性は自分の持ってきた水瓶をそこに置いたまま、この方こそ油注がれたメシアだと告げ、このサマリアにおける福音宣教の担い手となりました(4:28)。霊と真理によるまことの礼拝を主に捧げるとき、この女性のように自分の承認欲求ではなく、主なる神が私たち自身を必要とされ、求めておられることを知るとき、すべての渇きは満たされ、救いの喜びの内にこれを分かち合う者へと変えられていきます。私たちが毎週礼拝を捧げるのは、この父なる神が私たちの存在と私たち自身を必要とされ、また私たち自身を喜びとされているからなのです。